自分を信頼することが大切な理由。

自分を信頼することが大切な理由は?

 

自分を信頼する=主体的に生きることができるから、そんな感じがしています。

 

自信がない時=自分を信頼していない時、

まさに地に足付かない不安定なぐらぐらの状態なので、

周囲に翻弄されて自分らしく生きることはとても難しく感じてしまいますよね。

 

 

でも、仮に自分を信頼することが当たり前の状態だったら、

しっかりと根を張っている幹のようにどっしりと存在することができて、

多少風が吹いてもしなやかに受け流して、存在できると思います。

つまり、自信がない、自分を信頼できない状態は

ぐらぐらの木の根っこのようなもの、そんな感じがします。

 

自分を信頼できないのはなぜ?

 

一言で言うと、怖くて疑ってしまうのではないかなって感じるんです。

例えると、ありのままの自分や死が怖くて、失敗も怖くて拒否ってしまう

そんな感じがします。

 

じゃあ、なぜ怖いのかというと、自分が何者かを知らないこと、

自分の存在性が失われてしまうことが怖いんだと想います。

 

人は一般的に、自分が何者かを忘れて生まれてきます。

幼児期の記憶がない方も多いと思いますが、たくさんの情報は生きるために吸収する

しくみになっているので、ダウンロードされたツールはあるものの、

これまで感覚的に使っていたものの多くを使わずに生きています。

 

忘れてしまったこと、残っている体験の残滓、

それに加えて、社会から拾うもの、こんがらがるのも当然ですね。

 

そんな中で何を頼りに生きればいいのかということになっていきますが、

人の目は外の情報を知覚するために付いていますので、

目に触れる外からの情報を頼りにしがちなわけですよね。

 

確かに目が外にあることで、現実化しているものをよく観ることができ、

それを自分の創造に活かすということもあったのでしょうけれど、

自分の内面を観ること、ここに立ち返ると、怖くて観たくないものばかり

だから、外を観ることで気をそらしてしまったんだろうな~と感じます。

 

自分を認められないのはなぜ?

 

人は割合、他の人を認めることは得意ですが、

自分の価値を認めることは苦手なことが多い気がします。

 

そこにこのままじゃダメという概念など(その人流のこだわり)をくっつけて、

進むことへの抵抗=もっとこの世界でドラマを味わいたいなどなどをやるために、

認めないぞって、やっているんだろうなと感じたりもします。

 

自分を認めない、信頼しない、停滞した状態で

地球体験続行の延命措置をしているようなものですが、それはそれでOK!

 

いつかは誰もが最適なタイミングで信頼へ至るし戻るし、その過程で

揺らいだりもする、何もかも自然なことだと教えているように感じています。

 

生まれながらの自由意志は何を選択しようが、気にしていないのだから、

自分が望むものを創造して体験していいよ~!

と本当に懐が深くて大きいですね(^^ゞ

 

自分しかいなかったら誰を信頼しますか?

 

ちょっと想像してみてください。

あなたは無人島にいます。自分以外誰もいません。

 

そんな時、あなたは誰を頼りますか?

 

きっと、自分ですよね(´ー`*)ウンウン

 

という状況とじつは現実は同じなんだと感じるんです。

 

まわりにいくら人がいても、無人島でひとりで生活しているようなものだとしたら、

なぜそう感じるのか、それは人って自分がしたいこと以外、しないもんだから。

 

いくら、人がこれがいいよと薦めて、仮にそれをいったんやったとしても、

自分がちがうと思えば、多分止めますよね。

 

「馬を水辺に連れて行けても水を飲ませることはできない」

聴いたことある方もいらっしゃると思いますが、

他人がサポートしても、結局やるかやらないかは本人次第という意味なんだそうです。

 

「こうします」って誰かに決意して言われたら、説得しようが何しようが、

その人が選択を変えない限り、誰もその人の決めたことを変えることはできない

ということは、絶対的な主導権をひとりひとりが持っているという現れだと思います。

 

そうなると、自分の選択は自分の自由な権利であり、自由な意志だということで、

まわりがあったとしても、自分の不可侵の自由意志は常に尊重されている・・・

 

当たり前ですが、自分の人生の鍵を握るのは、自分だということですよね。

だ頭でわかっていても、本当に感覚的につかむのは体験を重ねる必要がありますね。

 

自分を信頼しない状態は、誰かや何か外のものを無意識で信頼する状態になる

だから、自分を信頼することが自分らしく生きるには外せない。

たしかに勇気がいりますよね。

だって、誰かや何かのせいにできないですものね。

 

自分の望む人生を生きるには、私が私を信頼しますと

腹をくくって決意することが大切なんだと思います。

 

でも、死ぬような思いで切羽詰まって苦しむ必要もないので、

ただ、信じるよって、自分に許可する感じがいいなって思います。

 

自分を信頼していくことで展開していく方向性

 

ブログのタイトル「黒いケド、楽しい」付けて頂いて、

アイコンも作ってもらって、本当に観る度に感じるんですけど・・・

 

自分のありのままを嫌わずに受け入れるって、勇気がいりますよね。

 

まさに、自分の黒い所も光も全部、影絵のように

自分の光と影が織りなす体験の世界なので、自分の裏表なので。

自分を信頼する=自分のありのままを受け入れることに他ならないと感じます。

 

えーだって、でもこんな自分なんて信じられないよと否定することもできるし、

光があれば影もある、それも含めて自分だからいいんだよと認めてあげるか、

本当にどちらも体験できる自由な状態の中にいる私たち。

 

何を選んでも最適な旅路になっているということを信頼していられるには・・・

黒い自分も、黄色い自分も、ブルーな自分、烈火のような自分なども含めて

ありのままの自分にいいんだよと許可を出すことが大切だと感じます。

 

 

北風と太陽の童話のように

北風ビュービューで吹き飛ばすも、太陽でポカポカ照らす、それ以外もいいけれど、

価値感(概念、執着)などを着込んでいる不自然な防衛を脱いで、軽くなる・・・

それを選べたら、もっと生きやすい ありのままの自然な状態に戻っていく・・・

その時に、いつの間にやら一皮も二皮も剥けて脱皮していたわ!

ということになるのが、本当に自然な在り方(変容)だと感じます。

 

木々も日々、葉っぱが芽吹き、青々と茂ったり、枯れたりと変化は自然なので、

自然にあるがままを信頼して、大きな自分の本流の中に居る

 

そうなるとまさに

「泰然自若(たいぜんじじゃく)」=変わったことが起きても落ち着いて動じない

ゆっくりと穏やかに受け入れて、流していく・・・まさに自然体ですね。

 

まとめ

 

こうして書き終えて、ふと、人生=ジェットコースターが浮かびました。

 

ジェットコースター乗ったことない人が乗ったら、

1回乗ると、楽しい人、怖いわぁーってなる人、それぞれですけど、

2回、3回と乗るうちにやっぱり慣れてきて、

10回、20回と乗ると最終的にやっぱり飽きますよね。

どんなに好きなお店の美味なご飯も毎日食べてたら、いつかは飽きるのだから、

飽きるまでやって、飽きたら変える。変えていい。

 

その時に必要なのが、決意すること、自分をただ信頼すること。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回は、「自分を信頼するコツ」についてご紹介します(^^♪

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